海山畑と台所で遊ぶ50代のライフシフト|逗子というところ

50代のライフシフト
輝く太陽の下、砂浜、青い空と海

逗子への移住

私の住む街は神奈川県の逗子市です。

海と山と畑が歩いて10分ぐらいのところにあるので、超早起きしなくてもその日に思い立っても、アウトドアでそれなりに遊べます。

この2年あまりは電車に乗って会社へ行くことがほとんどなくなったので、年間の時間の9割9分は逗子にいる感じです。

逗子に住むようになったのは2010年、歳の頃は40代のはじめ、今から10年ちょっと前のことです。

子供のころから結婚してしばらく経った頃までずっと首都圏の郊外か23区内に住んでいたので、今とはだいぶ違う生活スタイルでした。

朝晩の満員電車、会社での終わらない残業と嫌な汗、土日は疲れているので遊びに行きたくても5時とか6時には起きられない。

だから結局家でごろごろした挙句に午後からショッピングモールにでも行くか、となる。

行ったら行ったで道は混んでるし駐車場に入るだけで長蛇の列、やっと入れたら人が溢れていてストレス溜まる、ストレス発散のため要らんお金使う・・・。

だいたいそんな感じでした。

でも私が土日に本当にやりたかったことは、キャンプに釣り、山歩きに焚き火、外で肉を焼く・・・。

そういう素朴なアウトドアの趣味です。どれも住んでる場所の近くではできませんでした。

このまま歳をとっていくのはイヤだ~と思っていたところへ、30代後半から海外勤務をすることになりました。

5年過ぎたのち、帰国することになりました。

よっしゃ来た、今だ!と胸が高鳴りました。

会社に通えて、山か海が近くにあるところにしよう、あとできれば電車の始発駅で座って通勤できるところ。

最初、丹沢山塊に30分ぐらいで行ける内陸のとある場所にしようかと考えていました。

当時は海より山で遊ぶのが好きだったのです。

私としてはそこにするつもりになっていたので、どう?と奥さんに相談したところ即座に却下されました。

山に全然興味がない人ですから、旦那の趣味だけで決めたところにイイと言ってくれるわけがないですよね。

そりゃそうだよな、とすぐにあきらめました。

昔、水曜ロードショーのオープニング映像にも使われたフレンチレストランのマーレドチャヤから富士山を望む夕景

もう一つの候補地は、海が近くにあるイメージの湘南、鎌倉・逗子・葉山の辺りでした。

山は丹沢のような本格的な山ではありませんが、ハイキングコースもいくつかあるぐらいなので、そこそこ手軽に楽しめそうでした。

奥さんと私の昔の勤め先の保養所が葉山にあって、逗子駅からバスに乗って行ったことを印象深く覚えていました。

非日常を求め、ドライブで海沿いの134号線を走ったことも幾度となくありました。

素敵なところだなぁ、いつかこの辺に住みたいなぁと夢見たものでした。

鎌倉はお洒落なお店が多いし名所旧跡も多いし、住んでるだけで楽しそう。

葉山は何といっても御用邸のあるところ、これまた素晴らしいところに違いない。

だけど通勤を考えたらやっぱり始発駅、できれば駅まで歩ける距離の場所に住みたい。

となれば逗子しかありません。

そんな経緯でここ、逗子に住み始めたのでした。

逗子の人々

逗子に移り住んだ頃、二人の子供たちはまだ小学生と幼稚園児でした。

彼らのふるさとになるかもしれない場所として、自然豊かな逗子は良い選択だということも考えました。

住み始めると、知り合いが増えていきます。

子供の学校や幼稚園つながりや、私が始めた海の遊びで会う人たちなど。

逗子に住んでいる自分たちと歳の近い人たちというのは、今まで会ってきた人たちとは何かちょっと違う気がしました。

肩の力が抜けているというか、壁を作らないというか。

都会から移り住んできたアウトドア好きの人たちが多いのもこの土地ならではの特徴だと思います。

自分にとって本当に暮らし易いし気の合う友達・仲間が作りやすいところです。

街を歩く人々は、夏などはTシャツ短パンにビーサン、肌は男女を問わずこんがり小麦色、いや人によってはチョコレート色みたいな人が驚くほど多いのが印象的でした。

注文していたマイシーカヤックが届きました。

さきほど海の遊びと書きましたが、シーカヤックを始めました。

学生時代に川のカヤックを結構本格的にやっていたので、社会に出てからもいつかまたやりたいと思っていました。

でもそれができるのは東京の奥の方、青梅市の御岳渓谷とか、埼玉県でも奥の方、秩父の長瀞とかです。

とても会社に通えるところではありません。

海でやるカヤックもあるということは当時から知っていたので、逗子に住むと決めた時にはもう、シーカヤックをやる気満々でした。

逗子カヌークラブとの出会い

とは言え、引っ越してきたばかりの頃は、シーカヤックってどうやって始めればいいものか、さっぱり分かりませんでした。

手っ取り早いのはスクールに入ることですかね。

でも仕事が忙しかったので特に調べるでもなく1年ぐらいの月日が経ちました。

そんなある日、会社の研修で出会った人と食堂でご飯を食べていると、その人も逗子に住んでいるとのこと。

そしてなんと、その人はシーカヤックをやると言うではありませんか。

なんでも逗子カヌークラブというのがあるんだそうです。

そのクラブをやっている人が私の家のすぐ近くに住んでいて、シーカヤックで伊豆大島に渡ったり、キャンプしながら日本を半周ぐらい漕いで行ったりしている人だよ、と事も無げに言うのでした。

文字通り渡りにフネ!すぐに食いつきました。

初めてのシーカヤック体験に同行してくれた逗子カヌークラブのキャプテンと仲間と私(右)

それからというもの、逗子カヌークラブを通じて共通の趣味を持つ知り合いがどんどん増えていきました。

富士山に針路を定めていざ出漁!

シーカヤックはもちろん、釣りをしたりキャンプしたり、焚き火したり山を歩いたり、土日のすべてが逗子カヌークラブと共にある、そんな楽し過ぎる日々が始まりました。

三浦半島の某所にて

その辺りの詳しい話はまたあらためて書くことにしましょう。

今日はこの辺で。

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